幻の桜「カタオカザクラ」を見に行こう!
幻の桜「カタオカザクラ」を見に行こう!
代表的な桜「ソメイヨシノ」が散り、葉が付いてきた頃、塩尻市の奥地 片丘地区でひっそりと「カタオカザクラ」が満開を迎えます。
「カタオカザクラ」と地元の地名が付いている桜なのにもかかわらず、
若い人にはほとんど知られていません。
現在では、”幻の桜”と呼ばれている「カタオカザクラ」
こうした「カタオカザクラ」の経緯には驚く理由がありました!
「カタオカザクラ」とは?
桜と言えば、江戸時代から日本で最も親しまれ、日本の桜80%を占める「ソメイヨシノ(染井吉野)」を始め、八重咲きになる「ヤエザクラ(八重桜)」、樹齢が古く大木になる「エドヒガンザクラ(江戸彼岸)」、枝が柔らかいため、自身の重みで枝垂れる「シダレザクラ(枝垂桜)」などが有名ですね!
「カタオカザクラ」は、「カスミザクラ」の突然変異種で、花びらは白に近い淡いピンク色から、濃いピンクに変化する珍しい桜です。
↑ ↑ このように、花の色が変化していくので、満開を迎えると、紅白の花びらを楽しむことができます。
花びらの形も、他の桜に比べ、細長く、星形ですね!
咲き頃は、毎年4月下旬~5月上旬頃。
今年は松本城の桜の満開が4月3日だったのに対し、「カタオカザクラ」は他の桜の開花3週間後の4月25日頃に満開を迎えました。
満開後、濃いピンクに変化したカタオカザクラ
幻の桜「カタオカザクラ」が消滅危機!?
「片丘」という地名が入っているにもかかわらず、あまり知られていない「カタオカザクラ」。
当時、片丘の高ボッチ山麓で自生していましたが、約60年前1960年に起こった山火事で1本残らず全滅したという記録が残っています。
そこから数年、山の自然植物は復活しましたが、「カタオカザクラ」は突然変異種のため、再び見ることはできませんでした。
「カタオカザクラ」を再び蘇らせたいとの声が!
大惨事の山火事から20年・・・
1980年に「片丘の名の付いた桜を地域に再び蘇らせたい!」との声が上がり、当時の塩尻市教育委員長ら有志による「カタオカザクラ」復活への取り組みがスタートしました!
しかし、片丘の「カタオカザクラ」は1本残らず焼けてしまった上、
突然変異種の「カタオカザクラ」は種や苗木もなければ、
限られた場所でしか育たない桜だった為、簡単には進みませんでした。
栃木県の植物園で「カタオカザクラ」と再会!
山火事以前の資料をたどっていくと、1本だけ栃木県の植物園に移植されていた事実が判明!
さっそく、穂木として接ぎ木し、移植を試みることになりました。
そして、4年後1984年に3本塩尻市役所などに移植する事が成功しました。
「カタオカザクラ」育成の難しさ
しかし、「カタオカザクラ」は増やすにはとても難しい品種。
突然変異種という事、独特な育ち方、限られた場所でしか育たない事など、様々な要因から、100本挿し木をしても成木になるのは1本あればいい方・・・
種をまいても無事、発芽するのは2.3芽しかないと言われています。
さらに、そのまま育ってくれても、突然変異前の「亜種」などカタオカザクラのDNAとは異なるものになってしまう事がほとんどだそうです。
「カタオカザクラ保存会」によりふるさとに「カタオカザクラ」還る!
1992年に正式に「カタオカザクラ保存会」が結成され、”カタオカザクラでふるさとを埋め尽くす”という壮大な夢を抱え、活動されています。
そのかいあって、現在では、『片丘ざくらの碑』があるかつて自生地だった場所を中心に、片丘地区の様々な場所で約800本の「カタオカザクラ」を観ることができます。
カタオカザクラ自生地には「片丘ざくら之碑」が建てられています。
「片丘ざくら之碑」には、カタオカザクラが自生していた歴史などが刻まれています。
「カタオカザクラ」と触れ合い守り伝えよう!
「カタオカザクラ保存会」の有志の方々の情熱的な活動があり、
当時の「カタオカザクラ」を知らない子ども達を中心に「カタオカザクラ」と触れ合う機会が増えているそうです。
子ども達にも挿し木を体験してもらったり、
カタオカザクラの花の付いた枝をガラスボトルに保存する「フラワーボトル」作りなど、
様々な体験を通して触れ合いが広がっているようですね!
「カタオカザクラ」を見に行こう!おまけ
カタオカザクラを見に行く途中で前髪ぱっつんのポニーに遭遇!!
人慣れしているようで、グイグイ近づいてきて、「草をよこせ」と前足で催促してきます。
周りの草をむしってあげるとムシャムシャ( ‘ω’)ŧ‹”ŧ‹”
小柄でしたが、まるまるとした体と、きれいにカットされたタテガミ(前髪?)がかわいい♡